百人一首物語 その31 『あさぼらけ』

子供の頃は、色んなものが怖かった。
暗闇の中には、常に何かがうごめいていた。時には、じっと潜んでこちらを伺っている事もあった。周りのものは何でも圧倒的に大きく、意味が分からない物だらけだった。今でも、実はそうなのだけど、わからなくても、不条理は感じない。だが、子供にとっては、全てが不条理だった。その不条理は、いつも虎視眈々と、僕を押し潰す機会を伺っているように思えた。
夜には、そんな形のない敵意が忍び寄ってくるような気がした。だから僕は、夜が怖かった。眠るのが怖かった。
だから、布団にはいってもなかなか目を閉じようとしない僕の手を、母親はぐっと握りしめながら、言うのだった。
「ほら、早く寝ないと『朝ぼらけが来るよ』」
僕は子供心に、そんな化物はいないと信じつつも、きっと僕を取り巻く不条理のひとつが、その『朝ぼらけ』だと信じている所もあった。
ある日のこと。いつものように母親の手を握りながら、眠りについた僕だったが、ふと目覚めると母親の手も、母親も近くにいない事に気が付いた。
目を開ける。暗闇の中、目を凝らしても、何も見えなかった。
僕は立ち上がった。襖を手で探りながら、明るさに向かって歩き出した。廊下に出ると、障子が全体的にうっすら明るくなっていた。きっと、もうすぐ夜が明けるのか、あるいは月が出ているのだろうと、思った。
僕は、障子を開けた。
障子の向こうは一面、真白だった。庭石は白く輝き、粉砂糖をかけたガトーショコラみたいだった。草木全部、スプレーしたみたいに、あるいは小麦粉でもぶちまけたみたいに、白くなっていた。
……ああ、これが『朝ぼらけ』なんだと、僕は思った。僕を取り囲む不条理とは、一瞬にして、姿を変えるかも知れない世界そのものだったのだ。
そして、『朝ぼらけ』はその一つで、色を全て奪ってしまう不条理なのだ。僕は、廊下に立って、色を失った庭を見ていた。



「朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 」
明け方に起きてみると、月のせいだと思っていた明るさの原因が、降り積もる雪で、ちょっちびっくり。

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