百人一首物語 その56 「あらざらむ」

「いやだよ、そんな訳判んない事」
斉藤は言った。
斉藤は、彼女の話どおりのイケメンで、爽やかな好青年だった。僕はこういうタイプが、苦手で嫌いだ。
「だいたい、なんで俺が病院? そんな所に行かなきゃならないんだよ」
「まぁ、それは色々と事情があるんだけど、詳しく言えないんだよ。そこは人助けだと思って、さ。頼むよ」
「そんな言えないような事に、協力すると思うか? お前ならするか?」
お前って、僕の方が先輩だろ? ……まぁ、ここは我慢して話を続ける。無茶なお願いをしているのは、あくまで僕なんだから。
「いや、まぁそうなんだけど。勿論、タダとは言わない。だから、話ぐらい聞いてくれないかな」
斉藤が、はじめて、ボクの目を見た。
「いや、まぁ、そんな大した事は出来ないんだけど……斉藤さん、商法4取ってるんだって?」
斉藤は、片方の眉をあげる。
「それが?」
「あー。試験のさ、資料一式、僕、持ってるンだけど。それで手を打たないか?」
「なんだよ、資料って」
「過去3年の一切合切。手書きノート込み」斉藤の眉が上がった。「頼むよ。簡単な事なんだ。人助けだと思って」
僕は、ここぞと頭を下げた。後輩とか関係ない。ここで頭を下げないと、後で余計ややこしくなる。
「……人助けなら……しょうがないな……話だけ聞くよ」
「助かる!」
僕はすぐさま、斉藤の手を取り、食堂テラスのテーブルに座らせ、話を始めた。
           ・
約束の日がやって来た。
僕は、例の樹の下に、彼女と2人立っていた。
斉藤は2分ほど遅れてやってきた。その2分で、僕がどれほど肝を冷やした事か。斉藤には決してわからないだろう。
斉藤は、黙って指示通り、僕の斜め左前に立った。ちょうど彼女の向かいになる位置だ。
僕は、文字通り、彼女の背中を押した。彼女は俯きながら一歩前に出た
そこからが長かった。
斉藤は、ポケットに手を突っ込んだまま、あらぬ方向を見ていた。
彼女は全身が震えているようだった。立っているのもやっとの事なのかも知れない。
斉藤が、怒って帰ってしまわないだろうか……あるいは、彼女は言えないんじゃないだろうか……そんな不安が僕をひっきりなしに襲い続けた。そのあまりに長い沈黙の時間は、実際には、数十秒の時間だったのかも知れない。
「斉藤さん好きです! つき合ってください!」
言った! 言えた!
僕は大声を出したいほど、嬉しかった。
彼女は、真っ赤になって、俯いていた。見えないけど、足もガクガク震えている事だろう。
僕は、斉藤を見て、言った。
「斉藤。言ってやれよ」
それが、あらかじめ決めた合図だった。
斉藤は、真っすぐ前を見て、はっきりと言った。
「僕も、好き……だ」
よし。予定通り!!
彼女は、顔を上げた。耳まで真っ赤になり、目を見開き、涙すら浮かべていた。僕は、その顔を見て、あらためて、この娘はかわいかったんだな……と思った。実に惜しい。
彼女の周りを、金粉が舞うように輝き、そこだけ夕暮れになったかのように、金色に染まった。
「……あ、ありがとう……」
光に包まれながら、彼女はそう言うと、膝から崩れ落ちるようにして、消えた。
僕は、あたりを見回し、彼女の気配が完全に消えた事を確認した。消えていた、完全に消えていた。
「サンキュ。斉藤。助かった」
斉藤は、頭を掻きながら、俯いて、言った。
「訳わかんねーな。なんだったんだよ、これ」
「教えてやっても良いけど、つまんない事だぜ?」
そう言って、僕は斉藤に紙袋を手渡した。3年分の資料だ。環に無理言って貸してもらったのだ。この借りは高くつくだろう。
「ならいいけどよ。ところで、本当に人助けだったんだろうな?」
「勿論。昇天しちまうくらい喜んでると思うよ」
「なんだい、そりゃ。わかんねーヤツ」
そう言って、笑った。僕も笑った。
その笑顔を見て思った。案外、コイツはコイツで、この件を人助けだと思ってくれていたらしい。
もしかしたら、斉藤、いいヤツかも……と今さらながら思った。




「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな」
あの世にもっていく思い出に、今一度、あなたに逢いたいの。

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