百人一首物語 その65 「袖」

「もう悔しくて悔しくて、その事を考えると涙が溢れてきてとまりません。袖で拭っている内に、袖が濡れ、渇かないので、遂には腐れ落ちてしまいました……」
「どうみても、ノースリーブじゃん」
「腐った服を着続けるのも、衛生上どうかと思いましたので、しまむらで買ったのです」
「しまむらなんだ」
「ええ。あまり、動けないものですから」
「なるほど、それは難儀されたでしょうね」
僕が真面目に答えていると、斉藤が僕の着物の袖を、無性に引っ張りやがる。
「なんだ、斉藤」
「もー、さっきからさ、身の上話とかいいから、ちゃっちゃと仕事終わらせてくれよ。俺、さっきから寒気がして仕方ないんだよ」
「だから。ついてくるなって言ったろ。いいから、向こうで待っててよ」
「やだよ」
僕は肩を竦めると、再び、目の前の女性と話しはじめた。斉藤には、その女性が見えていないし、話も聞こえていないから、退屈なのも仕方がない。
僕としてはなかなか興味深い。話によると、この女性は、かなり昔の高貴な生まれの人で……まぁ有り体に言うと、平安時代あたりの貴族の女性のようだ。どうしても心残りがあって成仏出来ずに、こうして、いつまでも現世に留まっているようなのだった。そして、色々聞く内に、大体の話が掴めてきた。この女性は、ある好奇な地位にある男性に振られ、世をはかなんで、そこの池に入水自殺したという事のようだった。
「では、貴女の後悔って、ようは、その男性に振られたって事ですか?」
「違うわよ。全然、違う!」
「はぁ。じゃあ、どうしてなんですか?」
僕が訊くと、女性は、池の案内看板を指さし、言った。
「私は、振られてないの! ただ、足を滑らせて池に落ちて死んだの!」
「はぁ、それはお気の毒に」
「それなのに、何故か、失恋のショックで死んだ事になってるの、そんなの、私の名誉に関わるじゃない。腹が立って、帰ってきたという訳」
なるほど。確かめてみると、その立て看板にはそんな風な事が書いてあった。
「おい、何だって?」
斉藤が俺の袂を引っ張って、聞くので、言われた通り答えた。すると斉藤は、えいやとばかり、その立て看板を蹴飛ばして、池に沈めてしまった。
「おい!乱暴な事するなよ。そんなんで解決する訳ないだろ?」
「あー!すっきりした!」
僕が怒っても、そう言って、斉藤は先に帰ってしまった。
見ると、確かに、女性の幽霊は消えていた。




「恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ 」

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