百人一首物語その69 「錦」

僕は、龍田川の川面を指さした。
澄んだ水は、川底の複雑な影に動きを加えながら、きらきらと輝き流れていく。時に岩魚の影が石や岩の影から影へ走り、この流れが生命に満ちているのだとあらためて気付かせる。
ただでさえ美しく躍動に満ちた龍田川を、更に彩るように、燃えるように赤く染まった赤子の手のひらのような紅葉が、くるくる楽しげに回りながら、川面を滑るように下ってくる。時には、一つ寂しく。時には賑やかに陽気に。それは実にあでやかで美しい光景だった。
「ほらみてごらん。この光景は、もう何千年、もしかしたら何万年も昔から繰り返されてきたんだ。こんな風に」
すると、僕の傍らで、この光景をケータイに保存しようと、欄干から両手を伸ばして写真を撮っていた彼女は、僕の顔を見て、言った。
「紅葉のてんぷら食べたい。食べた事ないの」
「あ、ああ。そ、そういうのもあるね。昔から、色々な方法で、そうやって紅葉を愛でてきたんだろうね……」
「そういえば、おなかすいた」
「そ、そういえばさ、この光景を唄ったものが百人一首にあってね。まさにこの赤い紅葉は、竜田川の錦のようじゃないか」
「お肉みたいな赤。あ、お肉食べたい。焼肉いこ? 焼肉!」彼女はそう言って、僕に笑いかけた。彼女らしい、明るい、笑顔。僕も思わず笑ってしまう。「じゃ、その前に、このおすすめの景色、お腹いっぱい食べて行こ!」
そう言うと、彼女は、ケータイのカメラを構え、なるべく近くに寄せようと、両手を一杯に川面にむかって伸ばした。




「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり」

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。