百人一首物語その87 「村雨」

私がこの山に入ってから、すでに2時間が経過していた。

下調べの段階から私のカンが、これはいけると囁いていたのだが、実際に来てみるとそれは予想以上だった。 これは、パワースポットとして売れる! そう確信していた。

あとは「目的地」さえあればいい。私は古地図を片手に、その「目的地」を探していた。

私は、昨今のパワースポットブームにのって、パワースポット専門のライターとして、おいしい仕事にありついている。

この仕事は、パワースポットを村起しにという、とある自治体の依頼で来ている。なかなかおいしい仕事だ。なにより、下調べで集まる資料が段違いで多く、いつもこんなに順調ならと、思うくらいだった。

ところで。正直、私にはパワーとかオーラとか、そういうものが分からない。 以前は心霊関係や、トンデモ系の取材を多くこなしていた。だけど、私自身は全く霊感はなかったし、その手の疑似科学も信じていない。 だからこそ、イイ記事が書けるのだと、私は信じている。感じないからこそ、一つ一つ、誰にでも分かる事実を積み重ねて、そういう感覚の輪郭を形作っていけるのだ、と思っている。

この場所は、下調べの段階から、なかなか興味深い事実が多数あり、それを裏付けるような写真も撮れていた。ここがそういう場所の条件を兼ね備えているのは、もはや間違いない。

問題は、「目的地」だ。観光化するには、「目的地」がいる。「やってきたんだー」と思わせる目印/アイコンの類いだ。これがあるのとないのとでは、与える効果が段違いになる。いくら楽しくても、ミッキーマウスのいないディズニーランドは、物足りなく感じるだろう? そういうものなのだ。いくら、この山道が針葉樹林独特の清々しい雰囲気に満ちあふれていても、それだけではダメなのだ。

私は、古文書の書かれていた、小さな祠を引き続き探した。 と、急に小雨が降り始めた。

雨は、檜の葉を細かく揺らした。 雨はじきに止んだ。 檜の葉が陽に照らされ、沸き立つように霧が周囲を覆いはじめた。 それはまるで、瞬時に水墨の世界に連れていかれたかのような体験だった。

霧が音を吸うのか、周囲から色が消え失せるのと同じく、音の一切がかき消えた。

その静寂の中、私の目の前に、一体の獣がいるのに気が付いた。 それは神々しいまでに大きく、銀色に輝いた獣だった。

私は、それをオオカミだと思った。

どれほどの時間が経ったのだろうか。 気が付くと、あれほどまでに周囲に立ちこめていた霧は消え、音は戻ってきていた。オオカミは消えていた。 オオカミが立っていた場所には、小さな祠があった。手を合わせてから、祠の扉を開けると、中にはオオカミの形をした、こぶし大の石が入っていた。

私は、山を後にした。

「村雨の 露もまだひぬ 真木の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮」

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