百人一首物語その92「乾く間もなし」

さる大店のお嬢様が何らかの病にかかったようで、一日中、泣いてばかりいる。それこそ、涙を拭いている着物の袖が、海底の石のごとく、乾く暇もないくらいだ。
お医者さんに見せても、一向に原因が分からない。次第にお嬢様が痩せ衰えていくのを見かねて、旦那様は、番頭に一か八か任せてみる事にした。
番頭がお嬢様の部屋に行くと、確かにすっかり痩せ衰えて精気がなくなってしまっていた。
「お嬢様。私はお医者さんではありませんからお薬を出したり、病気を治したりする事は出来ません。でも、話を聞くだけなら出来ます。何かあるのなら、どうかおっしゃって下さい。みんな心配しているのです」
お嬢様は、顔を少し上げた。
「でも、恥ずかしい……」
それだけつぶやくと、また俯いてしまった。
「大丈夫です。どんなことであれ、私一人の胸の中に仕舞います。ですので、どうかお教え下さい」
すると、お嬢様は顔を真っ赤にして言った。
「東海道中膝栗毛ってご存知ですか?」
番頭は頷いた。当代流行の黄表紙だ。弥次さん喜多さんがお伊勢参りをするという馬鹿馬鹿しい話だ。
「私、あの本がとても好きで……で、その……」
「なんですか?」
「私、弥次×喜多の同人誌が欲しいんです!」
「は?」
「でも、恥ずかしくて買いに行けなくて、そんな即売会なんて、一人で行くなんて考えただけで……でも、とっても読みたくって……」
「それで泣いていたんですか?」
お嬢様は顔を赤くして、こくりと頷いた。
「わかりました」番頭は胸を叩いた。「せっかく、私に教えてくれたんです。なんとしてもその本、お持ち致しましょう」
そう請け負ったものの、そんな本が普通の本屋にある訳がない。散々江戸中を探し回って、ようやく女性向けの同人誌を売っている店を探し当てた。
「すいません。ここに弥次×喜多本というのがあると訊いたのですが」
その店の女主人は答えた。
「はい、ありますよ。よく腐ってますよ」
「く、腐ってるんですか?」
「はい。とても腐ってます」
「腐ってる……あの、腐ってないのはないんですか?」
「腐ってないのは無いんじゃないかなぁ」
「あの、これだけ沢山あって、腐ってないのがないんですか?」
「大概腐ってるんですが……まぁ、これくらいならどうでしょう?」
そう言って一冊の本をさしだした。番頭はお礼を言い、園本を買うと、早速お嬢様の元へ飛んで帰った。
「お嬢様! 弥次×喜多の同人誌! 手に入れましたよ! 早くこれ読んで元気出して下さい!」
お嬢様は、内側から光るような笑顔で、番頭からその薄い本を受け取り貪るように読みはじめた、しかし、次第にそのお顔から笑みは消えていった。
「ど、どうしたんですか?お嬢様?」
薄い本を読み終えたお嬢様は、ガッカリした顔で番頭に聞いた。
「この本、どこで買った?」
「秋葉原という所です」
「そりゃダメですわ。同人誌はやはり、晴海に限る」
(※江戸時代なので、コミケ開催場所が古い)
「わが袖は  潮干に見えぬ  沖の石の  人こそ知らね  乾く間もなし」
私の袖は、引き潮の時にも海の上に出ない改定の石みたいに、人知れず乾く事もないわ。泣きすぎちゃって。
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