Archive for the ‘百物語’ Category

百人一首物語 その100 「しのぶ」

2010年9月14日
気が付くと、私は日本庭園に立っていた。
月の蒼い光が、荒れた庭を照らす。
鈴虫の音が寂しく聞こえた。
私はゆっくりと、庭を歩いた。明らかに、明らかにさっきまで、私が夜の散策を楽しんでいた場所と、ここは違っていた。
さっきまでの私は、里内裏跡の遺跡を歩いていた。こんな庭も、建物も何もない。単なる遺跡だ。
場所どころか、空気すら違っているように感じている。
歩いているうちに、庭の向こう、闇の中に佇む建物が里内裏だとわかってきた。
これはよく出来ている。
日本のどこに、このような建物があったのだろう……私はいぶかしがりながらも、庭を歩いた。
ふと、軒下にノキシノブがぶら下がっているのが見えた。
あぁ。
となると、これはあの百人一首に詠まれたあの軒端なのかもな……と思い、引き寄せられるように、私はそのノキシノブへと歩いていった。
「誰じゃ」
私は息を飲んだ。
まずい。
知らぬ間の事とは言え、私は知らない人の庭を勝手に歩いていたのだ。警察に突き出されても文句は言えない。
私はおそるおそる、声のする方を見た。
そこには、平安貴族がいた。それも、かなり位の高い装束を身に着けていた。
「……順徳天皇……」
ノキシノブの連想に囚われていた私は、ついその一首を詠んだ本人の名を口に出してしまった。
「ほう……それは朕の諡(おくりな)か?」
そう言うと、その男は実に楽しげに笑った。
私は咄嗟に土下座をした。
その服装、その雰囲気……私は電撃で撃たれたかのように、この男が古の天皇陛下、あるいはそれに準じた地位の者なのだと思ったのだ。
理論的にはあり得ない。
ただ、それは直感的な確信だった。
だから、土下座をした。これが礼法的に適当か、その当時の研究をしているとは言っても、私には判らなかった。そもそも、その時代、平民が陛下に直にお目通しする事などあり得ない。だから、どうしていいか判らなかったのである。
地面に頭をこすりつける私に、男は静かに言った。
「よいよい。そのようにせずともよい。楽にせよ」
私は顔をあげた。男は、渡り廊下でしゃがみ込んで、私を見てニコニコ笑っていた。
私はその頃には、これは夢だと思いはじめていた。リアルな夢だが、過去に思いを馳せながら遺跡を歩いていると、こういう事も起こるような気がした。
「ほう。面白い幽霊だの」
「は、私は幽霊に見えてますか」
「うむ。昔からよく見える。しかし変わった霊じゃの」
「は、はぁ」
「しかし、順徳か。よい諡じゃな」
「いや、あの、貴方様が誰か分からないので、そうと限った訳では……」
「諱は守成。後鳥羽天皇の第三皇子だ」
それならば、ノキシノブの一首を詠んだ順徳天皇に間違いない。
私は頷いた。
「ほう。諡を知るという事は、朕が死んだ後の世界にいきておるのじゃな。そりゃ、面妖な幽霊じゃ」順徳天皇は、ひとしきり笑ったあと、急に神妙な面持ちで訊いてきた。「して、そちは朕が死んだ痕の世界から来たのじゃろ? なら、教えよ。朕はどうやって死ぬのじゃ」
私は答えなかった。
答えられなかった。
まさか、最後まで時代に抗い、敗れ、佐渡に流された後、自ら断食の上、焼け石を頭に乗せて命を落とすなどと、本人に言える訳がなかった。
私は黙って、頭を下げた。
ふっと、順徳天皇が笑ったように感じた。頭を上げると、既に向こうへと歩いていくところだった。
順徳天皇は、立ち去りながら、のちに百人一首に選ばれる一首を朗々と詠み上げた。
私は、その後、元の世界へと戻ってきたのだが、あの時、順徳天皇が詠んだ一首が、その時に作られたものなのか、或いは、自らの後の運命を覚悟している事を、私に伝える為に詠んだのかは、未だにわからない。
「ももしきや  古き軒端の  しのぶにも  なほあまりある  昔なりけり」
宮中の古びれた軒から下がったノキシノブを見るに、しのんでもしのびきれない昔のコトなんだよなぁ。

百人一首物語 その99 「物思う身」

2010年9月13日
「好きとか嫌いとか、憎いとか恨んでるとか、そういうのもよくわからない。誰かをそう思えるほど、僕は誰かとかかわった事がない。全てがテレビの向こう側、モニターの向こう側に思える。誰も、僕に気付かない。みんなが笑う。その笑い声が、僕を追い掛ける。僕を笑っている訳じゃない。関係なく笑っている。全てはテレビの向こう側で、モニターの向こう側だ。僕だけ、テレビのこちら側に、切り断されて、閉じ鎖められている。もう限界だ。世界に僕は強制介入する。世界と僕を隔てているガラスを割る。僕の言葉が届かないのなら、届く刃物を用意する。1本のナイフで一人しか届けられないのなら、僕はたくさんのナイフを用意する。たくさんの人が集まる場所で、僕は、たくさんの用意したナイフを使うつもりだ。きっと、僕は、たくさんの人によって、たくさんの電波で、テレビやモニターの向こう側を伝播していくだろう。そうする事で、みんなは僕を笑うだろうし、僕も笑う事が出来る。世界を変える事が出来る。」
(事件発生前日の少年Aによる書き込みと思われるブログより)
「人もをし  人もうらめし  あぢきなく  世を思ふゆゑに  物思ふ身は」

百人一首物語 その98「みそぎ」

2010年9月12日
私の周りの篝火の光が、まるで、私を閉じ込める檻のようだ。いや、逆だ。私を闇から守る為の檻だ。
風が、篝火を揺らすだけで、私の心も一緒になって脅える。私は、川下を凝視する。川下に広がる、村の明かりを見つめる。その中から一つの明かりが川に沿って、上がってくるのを待っている。
今日、今から行われるのは儀式は大祓といって、半年に一度行われる溜まった穢れを祓うためのものだ。夏の場合は茅でできた輪を、左まわり右まわり左まわりと八の字に三回通る儀式も行われる。全国的に行われる一般的な儀式だけど、我が村のは少し違う。
毎年選ばれた少女が、日が沈んでからひとりで、この小川に運び込まれた茅の輪に、右・左・右と回るのだ。
この儀式の意味はわからない。でも、村にとっては、とても重要な儀式らしかった。
今年は、その少女に、私が選ばれた。
父と母は、複雑な顔をして、しぶしぶ了承した。
100歳を超える祖母は、私が選ばれた事を伝えると、涙した。
あの、下から上がってくる小さな炎が、儀式で使われる茅の輪だろうか。
なぜ、私を送りだす時に、祖母は泣いたのだろうか。
「大丈夫、何もなければ、無事戻ってくるよ」
そう言って泣いた祖母の目は、今まで、この儀式で、何を見てきたのだろう。
「風そよぐ  ならの小川の  夕暮は  みそぎぞ夏の  しるしなりける」

百人一首物語 その97 「藻塩」

2010年9月11日
「ちょっと、どうしたの? ぼうっとして」
「うん……ほら、あそこで藻塩焼いてるじゃない。あれって、彼への恋心に身を焦がしてる私みたいだなって」
「ちょっと、どうしたの? ぼうっとして」
「うん……ほら、この焼き鯵。あれって、彼への恋心に身を焦がしてる私みたいだなって」
「ちょっと、どうしたの? ぼうっとして」
「うん……ほら、この道の上のミミズ。あれって、彼への恋心に身を焦がしてる私みたいだなって」
「ちょっと、どうしたの? ぼうっとして」
「うん……ほら、このせんべい。あれって、彼への恋心に身を焦がしてる私みたいだなって」
「ちょっと……まぁいいわ。お大事に」
「うん……」
「来ぬ人を  まつほの浦の  夕なぎに  焼くや藻塩の  身もこがれつつ」
来ない彼を待つ私の心は、あそこで焼かれている藻塩みたいに焦がされているのだわ。

百人一首物語その96「桜」

2010年9月10日
自慢の桜の花が、風に吹かれ一斉に舞い散る。
狭い庭には似あわぬ大きな桜だったが、清十郎はこの桜が大好きだった。
藩財政難の折、庭で作物を育て家計の足しにするようにとお触れが出た時も、清十郎は頑としてこの木を切らなかった。花が咲く頃には御馬番の長屋を集めて、酒を振る舞うのを毎年楽しみにしていた。それは清十郎が引退してからも変わらない。今年は、その日を迎えられない事が、清十郎の唯一の心残りといっても良かった。
「揺するな……あまり揺するな……里江よ」
清十郎は、良く出来た息子の嫁に話しかけるが、声になっているかは自分でも怪しいと思っている。それでも、清十郎は声をかけ続ける。
「悲しまんで良い。どうじゃ、儂の刀捌きは。昔は前田道場の四天王と呼ばれたもんじゃ」
里江は、涙を一杯浮かべている。
「泣くな。儂は、侍として、男として死ねる事を喜んでいるんじゃ。倅の居ぬ間、悪漢からこの家を守れた事が、おぬしを守れた事が、どれだけ嬉しい事か……」
里江は、涙を流しながら、私の鬢を撫で続けている。
やめろはずかしい…………と思うが、振り払う力もなく、清十郎はされるがままになっている。こんな様を、初枝に見られたら……清十郎はそう思いながら、桜散る庭を、縁側から眺めている。
まるで桜の花びらが、かすんだ目に、雪のように見える。
そう、初枝と初めて顔を合わせたのも、こんな雪の日だった。遠縁だという初枝は、叔母に連れられて、実に不安そうな顔で、清十郎を見ていた。あの時には、すでに叔母の策略で縁談も決まっていたようなもんだったが、そうでなかったとしても、きっとそういう運命だったのだろう。そう、清十郎は思っていた。その初枝も、三年前の流行り病であっさり逝ってしまった。
「もうすぐいくからな……初枝……」
清十郎の目に、雪の降る庭に立つ初枝の姿が、見えた。
清十郎は、満足げに目を閉じた。
「花さそふ  嵐の庭の  雪ならで  ふりゆくものは  わが身なりけり」

百人一首物語 その95「うき世」

2010年9月9日

A「私は、宗教家として比叡山から、この国を支配してくれるわ!」

B「私は、商人として経済から、この国を支配してくれるわ!」

C「ワシは、武士として武力で、この国を支配してくれるわ」

D「麿は、公家として参内から、この国を支配してくれるわ」

A「我ら四天王が力を合わせれば、無敵よ!」

ABCD「がはははははは!」

A「ところで、皆の衆」

B「なんだ。Aよ」

A「四天王といえば、取りあえず、最弱を決めねばならんのだが……」

D「なるほど!」

C「では、ワシ以外で決めるが良い。武士が最強に決まっておる」

D「なんだと、征夷大将軍の資格失わせたろか!」

A「一揆したろか? あん?」

B「兵糧攻めしたろか、物流握ってる、商人最強に決まってるだろが」

D「こら、座の免許取り上げるぞ」

B「なんだと。公家連中への借金、全部貸し剥がすぞ」

D「勝負すんのか!」

ABC「表に出ろや!」

「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖」

恐れ多いけど、世の中を仏の力で、僧衣の黒い袖で覆うみたいに、救ってやりたいなぁ。とか言ってみたりして。

百人一首物語その94 「秋風」

2010年9月8日
「ちょっと、どこ行くんですか?」
「いいとこだよ」
僕の問いに、助手席の斎藤先輩が満面の笑みで答える。それを鼻で笑いながら、運転している河井先輩がルームミラーを見ながら言った。鏡越しに僕と視線が合う。
「今から、古の都にいくんだよ」
「え? 都? どこですか?」
「いいとこだよ」
そう言うと、斎藤先輩はニシシと笑った。
三人を乗せた車は湾岸線を一路西へ。神戸の繁華街三宮を過ぎ、元町を越えてしばらく行ったところで、車は止まった。
そこは、不思議な街だった。
ここに「昔の都」があったような事を思わせるような建物は一つもなかった。道の両側に雑居ビルは建ち並び、派手な看板が並んでいる。しかし、活気がある風には見えない。道には、お店の人であろうか黒いスーツを着た男が寒そうに立っているが、僕らを見ても、声をかけるでもなく、ただ、値踏みするように見るだけだった。近くに迫る六甲山からすっかり秋めいた冷たい風が、道を吹き抜けていく。
不安げな顔をしていたのだろう。斎藤先輩が僕に訊いた。
「この建物、なんだと思う?」
「えーと……ラブホテル?」
「惜しいな。というか、なんでお前連れて来なきゃならないんだよ」
「あの、すいません、僕、そういうの……先輩達の思いには答えられな……」
「おい!」そう言うと、河井先輩は僕の背中を力いっぱい叩いた。僕のジャンパーを打つ音が響き渡る。道に立つスーツ男達が、僕らを見る。「いいか。ここは福原だ。聞いた事あんだろ?お前、経験した事ねぇっていうから、連れて来てやったって訳だ」
「け、経験って?」
「いいから、怖がってちゃ、何にも出来ねぇぜ」
斎藤先輩はそう言うと、僕の手を握ってぐいと引っ張った。
「どっか知ってるか?」
「いや、俺もなぁ、知ってるトコ今日休みみたいでよ」
「俺も専門は琵琶湖の方だしよ」
「まぁいいか、適当で」
「いいんじゃね」
2人の先輩は、僕に聞こえる事もお構いなしで、密談を交わすと、一番近い建物に僕を連れて入っていった。建物の入口には、『福原京』とだけ書いてあった。
「すいません、こいつ、はじめてなんで頼みます。90分コースで」
そういうと、先輩たちはお金を置いて、出ていってしまった。
店の黒い服の男に、僕は待合室のようなところに案内された。妙に安っぽいソファに座らされ、落ち着かないことこの上ない。しばらくすると、さっきの男が、ここから出て向こうに行って下さいという。勝手も分からず、従うと、部屋を出た暗がりに、女の人が1人立っていた。
「はじめまして。沙織と申します」
その女の人は深々と頭を下げると、僕の手を握り、すっと腕を組むと、僕を先導して歩いた。
僕は、僕の肩くらいのところにある女の人の顔を見た。暗くてよくわからなかったが、色白でまつげの長い奇麗な人だった。彼女が、ふと僕の顔を見た。思わず、目が合って、僕は思わず俯いた。石鹸とくちなしのイイ香りが、鼻腔をくすぐった。
「さ、いきますよ?」
彼女の声と共に、ぐるんと、世界が一回転したような、妙な浮遊感がいきなり襲いかかってきた。僕は目を見開いた。そこには何も見えない闇だった。彼女の手が、僕の腕をしっかり掴んでいるのだけは鮮明に判った。僕の腕に何かとてつもなく柔らかいものが押し付けられていた。
ふ、と気が付くと、周囲に光が戻っていた。
くっきりとした影、強烈な夏の日差し。
土の匂い。
道を行き交う牛車、まるで雛人形の下の方にいる左大臣?みたいな男どもが腰から大きな刀を下げている。大きな道の両脇には、黒い瓦葺きと白い壁。まるで、大河ドラマのような現実離れした、その景色。
そして、私の手を取るこれまた雛人形の三人官女のような服を着た、さっきの彼女。
「ようこそ、福原京へ! さぁ、この古の都を、90分、存分にお楽しみ下さい。わたしがご案内致しますので」
「み吉野の  山の秋風  小夜ふけて  ふるさと寒く  衣うつなり」
古い都にきてみたら、秋風が吹くし、寒くて寂しいもんじゃね。

百人一首物語その93「渚」

2010年9月7日
人工的に作られた小川に、笹舟がひとつ、またひとつと流れていく。きれいに折られた舟は母親、形の崩れた舟は女の子が拵えたものだろう。小川の先は小さな水たまりになっていて、藤棚がそれを囲んでいる。藤棚の作る日陰に作られたベンチには、子ども連れが数組腰掛けて、何か話をしている。
また、笹舟がふたつ、ふざけあうようにもつれながら流れてくる。笹舟を追って、ゆっくり小川べりを歩いていた幼女が、突然大きな声を上げ走りだした。下の方から他の子供たちの歓声も聞こえてくる。
水たまりの中央から、水か勢いよく吹き出していた。日の光に照らされ、水しぶきが白く輝く。その輝きの滴の中を、服を脱いだ幼女たちが輪を描くように走り回る。笹舟を作っていた子も、追いついた母親にワンピースを脱がされ、裸になってその輪に加わる。
私は、その夢のような光景を、目を細めて見つめる。
昨今は色々厳しくなって写真に撮ったりする事は出来なくなったけど、こうして見る事だ出来るだけで幸せだ。
こんな世の中が、長く続けばいいのになぁ。
「世の中は  常にもがもな  渚漕ぐ  あまの小舟の  綱手かなしも」

百人一首物語その92「乾く間もなし」

2010年9月6日
さる大店のお嬢様が何らかの病にかかったようで、一日中、泣いてばかりいる。それこそ、涙を拭いている着物の袖が、海底の石のごとく、乾く暇もないくらいだ。
お医者さんに見せても、一向に原因が分からない。次第にお嬢様が痩せ衰えていくのを見かねて、旦那様は、番頭に一か八か任せてみる事にした。
番頭がお嬢様の部屋に行くと、確かにすっかり痩せ衰えて精気がなくなってしまっていた。
「お嬢様。私はお医者さんではありませんからお薬を出したり、病気を治したりする事は出来ません。でも、話を聞くだけなら出来ます。何かあるのなら、どうかおっしゃって下さい。みんな心配しているのです」
お嬢様は、顔を少し上げた。
「でも、恥ずかしい……」
それだけつぶやくと、また俯いてしまった。
「大丈夫です。どんなことであれ、私一人の胸の中に仕舞います。ですので、どうかお教え下さい」
すると、お嬢様は顔を真っ赤にして言った。
「東海道中膝栗毛ってご存知ですか?」
番頭は頷いた。当代流行の黄表紙だ。弥次さん喜多さんがお伊勢参りをするという馬鹿馬鹿しい話だ。
「私、あの本がとても好きで……で、その……」
「なんですか?」
「私、弥次×喜多の同人誌が欲しいんです!」
「は?」
「でも、恥ずかしくて買いに行けなくて、そんな即売会なんて、一人で行くなんて考えただけで……でも、とっても読みたくって……」
「それで泣いていたんですか?」
お嬢様は顔を赤くして、こくりと頷いた。
「わかりました」番頭は胸を叩いた。「せっかく、私に教えてくれたんです。なんとしてもその本、お持ち致しましょう」
そう請け負ったものの、そんな本が普通の本屋にある訳がない。散々江戸中を探し回って、ようやく女性向けの同人誌を売っている店を探し当てた。
「すいません。ここに弥次×喜多本というのがあると訊いたのですが」
その店の女主人は答えた。
「はい、ありますよ。よく腐ってますよ」
「く、腐ってるんですか?」
「はい。とても腐ってます」
「腐ってる……あの、腐ってないのはないんですか?」
「腐ってないのは無いんじゃないかなぁ」
「あの、これだけ沢山あって、腐ってないのがないんですか?」
「大概腐ってるんですが……まぁ、これくらいならどうでしょう?」
そう言って一冊の本をさしだした。番頭はお礼を言い、園本を買うと、早速お嬢様の元へ飛んで帰った。
「お嬢様! 弥次×喜多の同人誌! 手に入れましたよ! 早くこれ読んで元気出して下さい!」
お嬢様は、内側から光るような笑顔で、番頭からその薄い本を受け取り貪るように読みはじめた、しかし、次第にそのお顔から笑みは消えていった。
「ど、どうしたんですか?お嬢様?」
薄い本を読み終えたお嬢様は、ガッカリした顔で番頭に聞いた。
「この本、どこで買った?」
「秋葉原という所です」
「そりゃダメですわ。同人誌はやはり、晴海に限る」
(※江戸時代なので、コミケ開催場所が古い)
「わが袖は  潮干に見えぬ  沖の石の  人こそ知らね  乾く間もなし」
私の袖は、引き潮の時にも海の上に出ない改定の石みたいに、人知れず乾く事もないわ。泣きすぎちゃって。

百人一首物語 その91「きりぎりす」

2010年9月5日
秋の虫の鳴き声が、遠く聞こえる。厳しかった残暑もようやく過ぎ去り、クーラーを消して、窓を少し開けて寝る事が出来るようになった。
もういい加減、寝よう。
読みかけの本を置き、ベッドサイドの明かりを消す前に、傍らで眠る俺の嫁に、おやすみのキスをして、俺は、一人寂しく眠りにつく。
俺の嫁は、なんで抱き枕なんだろう。
「きりぎりす  鳴くや霜夜の  さむしろに  衣片敷き  ひとりかも寝む」
コオロギの鳴く、霜の降る寒い夜。誰に腕枕をするでもなく、一人で寂しく今日も寝る訳だ。